無償の悪

松本英子。漫画、イラスト業。

それもまたよし

5月1日から今のこの家に住んでいる。
引っ越しすることが決まったのは2月の半ばだった。

引っ越し先の条件は、地元内、だった。理由はバイヨリン。近所に、時間確保的に料金的に環境的に、物凄く都合の良い練習場があって、そこを逃すことはとてもできなかったのだ。練習場確保問題は、楽器を習うにはなにより大事なことであるから。あと、やはりこの地が気に入っていたから、まだとどまっていたかったというのもあるが。

引っ越しすることは決まったけれど、実際引っ越すのは4月か5月になりそうだった。つまり物件を確保するのは、まだしばらく先だった。


たしか、その、2月の後半だったと思う。
夜、地元の、めったに通らない道を歩いていた。しばらくこの辺りは来てないなあ、などと思いながら歩いていた。そしたら、とある物件が目に入った。

なにが、どう、ほかと違って見えたのかは、うまく言えない。
しかし、その物件を見たとたん、無性に気になった。
相当気になった。
足が止まって、長く、見入った。
入居者は無かった。


ちょっとはなれた所からながめた。反対側から見たくなって、裏にまわった。また元に戻って角度をかえて見てみた。
難点があった。でもやっぱり気になった。

その日から、外に出たついでにその物件を見に行くようになった。
管理している不動産屋もわかって、不動産屋の外に貼ってある間取り図をみたら、よかった。
ただ、私ひとりで住むには、予定より金額が多めだった。引っ越すのはまだ先、誰かに先を越されるかもしれないし、あまり、期待をしてはいけない、と思った。内覧だってしていないのだから実際は気に入るかわからないし。
でも、でも、その紙っぴらである見取り図をもとに、多分中はこんなふうだ、という想像は相当詳しくしていて、バカなのだけれど、はやくも家の中で一番気に入りの場所さえできていた。

誰もここに入居しませんように。いや、どうせしないか。
期待をしてはいけないと思いつつ、どこかで妙に自信があった。
空き部屋の多い地域だということもあるし、ここまで私に望まれちゃあ、結界である、その呪いをといてまで、入居する人もいなかろう、ハハハ。


4月の後半。
とうとうその不動産屋に行った。
いまだ入居者はいなかった。
物件の内覧をさせてください、あと、条件に合うところがほかにあれば、いくつか紹介ください、と言った。
条件に合うと不動産屋にみなされた物件は1つあった。まずそこから見に行った。が、階段をのぼっている最中から、こんなとこに毎日いたらローになっちゃう・・・と思うほど、気が合わない雰囲気だった。一応部屋には入ったが、ドアの前でもうリストから引きずりおろしていた。

さて、次にとうとうここ数ヶ月、胸にし続けた物件へ不動産屋のおいちゃんと向かう私は落ち着かなかった。
いきなり緊張しだした。
気に入らなかったらどうしよう。
私はあまりに詳しく想像しすぎてしまっていたのを、ちょっと後悔した。
だって、そこも気が合わない雰囲気だったら、私の新居探しは振り出しに戻ってしまうのだから。ここ数ヶ月の夢を無くすから。落胆するだろうから。
物件の前まで来たら、動悸が激しかった。そのくらい入れ込んでいたのだ。

でも、でも、大丈夫だったのだ。
ドアを開けてもらい、玄関に続いてそく階段がある造りなのだが、一段一段あがるにつれて、私は明るくなった。最初の部屋、キッチンに入ったとたん、ここ2ヶ月あまり、一番の気に入りの場所として“くつろいでいた”大きな窓の前は、はやくも馴染み深く、仕事部屋も寝る部屋も、そのまんまだったのだ。まあ、見取り図があればそのくらい当然なのだが、緊張した分、そして2ヶ月以上時間があった分、ひとしおだったのだ。
ここ私の家だ。
何にも迷わなかった。
お家賃?ちょっとはみ出ちゃうけど、どうにかすればいい。
こんな仕事で先なんてわからない、連載なんかいつ終わるかしれないし(ちなみに入居後2つ終わった)、貯金もわずかしかないけど、
でも、ここ私の家。
本能の部分がそう言うのだから、正しいのだ。
それでも何かあったら、去ればいいだけ。



3年前の秋、酔っ払って上野の街を歩く私は、すんごく胡散臭そうな占い師を見つけた。その胡散臭そうなところがおもしろいから気に入って、酔った勢いで、占ってもらった。
胡散臭そうなくせに、なかなかヤリ手、ばんばんいろんな事を当てた。お、やるじゃん、とか思いながら、仕事について聞いた。私、やっていけますかね・・・?
胡散臭い占い師は言った。
「ああ、まあ大丈夫なんじゃない?でもね、貴方が大丈夫になるのはちょっと先だね。」
って、いつですか?
「う〜ん、40くらい」
40!?すんごい先じゃあないですか!そんなに先ですか!
「いやいや、すぐだから(笑)」

あれから3年たって、当時あまりに先だった40は、たしかに遠くはなくなった(・・・)。
そして、胡散臭い占い師が、40歳説以外に、この先おこることを2つ言ったが、1つは当たった。もう1つはまだその先の話なのでわからない(あまり当たって欲しくない事柄でもある)。

40が遠くなくなって、最近、もしほんとにこの仕事がまだ続けられていたら、そのときにまた引っ越そうかなあ、と、なんだか思う。
この気に入った家を出る展開も、またよし、と。
40っていう区切りもまた展開にいいではないか、と。

ちなみにかの胡散臭い占い師は、その後一度も見ない。


ステキな東京魔窟―プロジェクト松

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