無償の悪

松本英子。漫画、イラスト業。

迎え入れて

経済的な事情でなく、欲しい、必要、と思っているのになぜか買わないでいてしまう物がたまにある。

例えば物干し竿。
欲しかったんだ、ずっと、2本目の物干し竿。
あったら倍干せる、と思い続けて幾年月、まではいかないんだけど多分1年半くらいしてやっと重い腰をあげた。なぜすぐ買わない。謎。今は倍干せる喜びにも慣れて、前の自分が思い出せない。

というような、やっと買った欲しかった物が、最近またある。
オレンジ搾り。
欲しかった。物凄く欲しかった。

ずいぶん前に、レモン搾りを買った。なぜ買ったかというと、オレンジを搾りたかったからなのだ。お店でたまたま目をやった場所にレモン搾りが置いてあって、おお、これでオレンジを搾ろう、ちっこいけど搾れんだろ、と。

私は、レモンも搾るからという兼用をまるで考えていない。レモンを搾る用はない。レモン汁が必要なときは瓶に入っているレモン汁を使うからだ。レモンには用がないのにレモン搾りを見てオレンジを思い、そこでサイズがよくないのを承知でオレンジを搾ろうと思ったのは、多分、(そのまわりにオレンジ搾りが置いてなかった)他のお店に行ってオレンジ搾りを探すという流れを思うよりはやく、搾る、というただその行為に不要なほど激しく集中して、どうにか搾ったれ、という思いに行き着いてしまったから、らしい。

レモン搾りで搾るオレンジは、搾れなかった。
どうにか搾ったれ、は、幻だった。
すごく哀しかった。
切り口からただむやみにはみ出るだけの汁気たっぷりのオレンジの果肉を、仕方がないから、その半切りを掴んで立ったままもりもり食べたりした。なんだよ英子。

それから幾年月、まではいかないが多分1年数ヶ月くらい、オレンジ搾りが欲しいまま時は過ぎた。オレンジを搾って飲みたい情熱はそのままに。



で、つい先日だ。食器屋さんにいる最中、私は思い出したのだ、ああオレンジ搾りが私は欲しい!、そうだった!、と。
探した。すぐあった。レモンとサイズが違った。それがうれしかった。ぎゅって握り締めた。



ここ数日、毎日毎日オレンジやらグレープフルーツやら、搾っている。おいしい。
やっとウチに来た役に立つオレンジ搾り。
少ししたら、きっと前の自分を思い出せない。

あ、モーニング2は明日発売です。荒呼吸の「リウマチとバイオリン」の中編、ぜひお読みください。