無償の悪

松本英子。漫画、イラスト業。

これはどこからくるのか

小学校5年生まで、右と左を理解したがらなかった。

理解できなかったのではない。それを激しく拒絶していたのだ。



私にとって、右と左というのは、そのように分けるものではなかった。じゃあ何かっていうと、それはただの空間だったのだ。
右、といったところでそれは左であり、左、といったところででも右ではないか、と。

認められないもの、というのは、絶対だったらしい。
右、左、というただそれだけの理解を、自分の中に入れようとしなかった。他のことはいろいろわかっても、このことに関しては受け入れないからわからない状態のままに、していた。

11年間拒絶しつづけたのだ。だって私に、左右という存在はないのだから。だから、人から、右とか左とか言われると、なにか冒瀆されている傷つき方をしていた。



ピアノを習っていた。
楽譜を見て、きちんと理解して弾いていた。が、ひとたび先生に右手とか左手とか言われてしまうと、かの拒絶が困惑をうんで、いきなりわからなくなってしまう。
今のとこ、右手だけ弾いてみて
などと言われると、もうだめなのだ、この手のどちらかが右と世界で呼ばれるものらしい、でも、それは私の認識でないから、知りません、と。
すると、私は、困りだす。一か八かでどっちかの手で弾いてみる。合っていれば何事も無く、間違っていれば、何か言われ、もう片方の手で弾き出す。


そして、私は、つかれだした。11年も、世界は右とか左とかが在るままなのだ。
便宜上、覚えよう。
どうやら、これを使わないと世界は不便らしい。
私は仕方なく、やっと、右と左を覚えたのだ。嫌々に。




こんなことをおぼえている。
小さな頃、たぶんあれは2歳とか3歳とかだったのではないか、
よく、目の前の物を、困惑しながら触っていた。

私の手に触れる、というのだから、これは本当にここに在るのだなあ・・・でも、なにかがちがう・・・

触れど触れどそれは確かに私の手に感じられ、でも、ちがう
わたしすら ちがう




違和感に、慣れさせられた。