無償の悪

松本英子。漫画、イラスト業。

ムーンリバー

伯母(母ヒロコの姉)に言われたことがある。
「英子ちゃん、映画に行くのならね、ぶっさいくな男の人と行っては駄目よ」
どうして、伯母さん。
まだ13か14の私はきいた。
「そりゃあ、あなた」
伯母は目を見開いて言った。
「銀幕のスターを観た後よ、横に何がいたらどう思うの。あなたの2時間はどうなるの」




浪人生の頃、あまり予備校に行かなかった。いつも踏み切りを渡る所まで来ると、どこかに行きたくなってしまっていたのだ。いろいろうまくいってなかった。どこ見てもよくなかった。

そんな時、よく、母や伯母からきいていた、彼女らが思い出と語る昔の映画を観に行っていた。銀座あたり。

その数日はオードリーへプバーン特集というのをやっていた。どこの映画館だったか覚えてない。
ローマの休日で始まって、ティファニーで朝食をが最後。
きっちり通ってみた。

昔から耳なれていた、「ムーンリバー」、あの名曲がその特集中のテーマ曲で、行くたびに映画館で始終流れていた。
この曲は当時の胸にくるものがあった。




けっきょく進学せず、数年後、会社をいろいろかわりながら、いろんな仕事をしていた。


実家から通勤していた。
船橋駅から総武線快速にのって、錦糸町の駅で停車。
その頃、錦糸町の発車曲は、ムーンリバーだった。





最後に残酷なムーンリバーを聴いたのは、墨田区にある鳩の街商店街だった。
夕方もう暗くなってから、大好きなこの懐かしい通りをぶらぶら散歩していた。もう堀切に住んでいた。まだ書籍の編集の仕事をしていた。なんだか違うと思っていた。やりたいことを遠目でみているだけで、そこに向っていってはいなかった。


それからしばらくして、会社をやめて、なんだかイラストの仕事につけた。
以来、残酷に聴こえてしまうあの曲は存在しない。




土曜日。
堀切橋を渡って向こうにある足立区の柳原を歩いていた。北千住に向って歩いていた。
桜並木を歩いていた。

たまたま商店街に、ムーンリバーが流れて





春になるといろんな事を思い出すのだと思った