無償の悪

松本英子。漫画、イラスト業。

湯ざんまい 2

夕食前に、きつねの湯を見にいった。
誰もいなかったら入ろうと。



どこに行っても大浴場に向かうとき、いつも思う。
自分はこういうのが大好きなんだなあ、と。
温泉旅館のその温泉に向かう途中の、ぎしぎし廊下を歩く、この幸せ。
来たんだなあ、いま自分はなんだかここにいるんだなあ、の破裂。
なんだかそのとき、ここにいながらも、上空から自分を見ている気分になる。あそこにいる、と、見て楽しんでいる(感覚として)。新幹線やローカル線に乗っているときなんかも、箱に乗って地を移動している“身”を、つくづくと見ている(ような感覚)。自分はとっても自分なんだけれど、なんだかすべてはゆめのような。


途中にある貸切風呂をちょっと覗く。3つ共、似た造り。




きつねの湯の入り口。



くぐると、石をくりぬいた水場があった。いちいちが見てて楽しい。



きつねの湯、だれもいなかった。
嬉しくって、にっこり入る。
戸から覗くように写す大浴場。中入ると湯気で写んないから。これじゃ全然わからないけど。



無理やり写した湯口。年季が入っていて、いい様子なのだ(パソコン画面の角度を動かすとどうにか見えますよ)。



湯船の真ん中で、足を伸ばしてつかる。天井のレリーフを見ながら、湯口の結晶を見ながら、お湯を味見したりしながら、誰も入ってこない喜びをかみしめながら、自分はとっても自分なんだけど、どこまでも嘘のような。自分の右手が痛いのは、嘘の中のまた嘘のような。



夕食後、ほとんど寝ないでやって来たせいか、もうすこんと寝た。充実して寝たのか、夜中にうまく目がさめた。「さるの湯」にいくのだ。
誰もいない、3時のさるの湯。
きつねの湯よりぬるめなので、長々入っていられる。ちょっとのぼせると、ふちに出て、冷ます。しばらくして冷めると、また入る。たのしく繰り返す。


松の間に帰って、水分をとってじゅうぶんに休んで、松の間のお風呂に入る。



そして朝食のあと、さっと、松の間のお風呂に、最後のなごりをおしんで入った。へりやら桶やらを触りながら、感触をゆめのように覚えながら、それでもまた会えるだろうかと思った。
また、会えるだろうか。





チェックインして部屋で出された手作り羊羹(お抹茶も)。
私は羊羹って普段全然食べないのだけれど、この手作り羊羹はおいしくて嬉しかった。手作りらしいさっぱりさが良かった。黄色い方はお芋。
夕食も朝食も、とってもおいしかった。すべてにおいて満足、東山温泉向瀧。